歳時記

人生の「主体者」

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法務など、バタバタと忙しい日が続いている。

今日も、ご葬儀だ。

火葬場のオバちゃんに、
「忙しい?」
問うと、渋い顔でゆっくりとうなずいた。

葬儀は1年を通して繁忙のようである。

さて、今週はお盆である。
手帳を見ると、週半ばの10日ころから連日、1日に数軒ずつのお参りが入り、13日がピークになっている。

愚妻が強壮ドリンクを大量に購入してきて、
「これがあるから大丈夫よ」
得意顔で愚かなことを言っている。

それはともかく、数年前は、某大寺にお盆参りの応援部隊として泊まりこみで出かけ、2日間で50軒余のお参りをした。

土地勘のないところなので一計を案じ、ノートパソコンを持参。
割り当てられたご家庭の一軒一軒を前もってグーグルマップでチェックし、回る順序を決めたものだ。

1日に20数軒を回るのは、ホントに忙しい。
汗が噴き出す。
念珠の糸が汗を吸いこみ、読経中に切れたこともある。

「縁起が悪いわ」
私の背後に坐って手を合わせていた年配の奧さんが、ポツリとおっしゃった。

お参りに行って「縁起が悪い」と言われたのでは、坊さんとしては立つ瀬がないではないか。
「縁起が悪い」ということはないのだと、真宗教義のサワリを話した。

おかけで時間を食い、このあとのお参りの予定が押せ押せになり、さらに汗が噴き出したものだ。

このお盆参りは頼まれるまま2年やり、3年目はお断りした。
理由は簡単。
私は時間に追われるのが大嫌いなのだ。

だから旅行も、国内であればクルマで出かける。
何時何分発と決めるのは向こうの勝手で、
「乗りたければ時刻に合わせなさい」
と強制されるのが性に合わないのだ。

「バカみたい。そんな人はいないわよ」
愚妻は私のワガママだとあきれるが、これは日帰り温泉通いという安逸な日々を送っているため、「時間と決断」ということに考えが及ばないからである。

時間は主体的でなければならない。
時間に追われるのではなく、自分の意志で「追う」ものでなければならない。

このことは時間に限らず、すべてのことについて言える。
仕事でも趣味でも遊びでも、
「やる」
「やらない」
という決断は自分のものでなければならないし、これこそが崇高な自分の権利である。

たとえば、友人が、
「A出版社の仕事は原稿料が安い」
とボヤイていたので、
「やる、やらない、はおまえが決めたんじゃないのか?」

イヤなら、やらなければいいのだ。
「やる」「やらない」という決断は自分のものであるという意識が希薄だから、ボヤくのである。

話が少し横道にずれたが、
「時間は主体的でなければならない」
という姿勢はすべてについて言えることで、この姿勢が人生に大きく影響すると私は思っているのである。

それはともかく、1日20数軒というお参りは、「量をこなす」ということにおいて自信になった。
おかげで何軒でもこなせる。
ありがたい経験であったと感謝している。

「人生にムダなし」
とは、行為そのものにムダがないということではなく、その行為を活かすことによって、ムダも生きてくるということだろうと、私は解釈している。

言い換えれば、どんな良縁や、益のある行為であっても、それを活かすことができなければ、
「人生、ムダだらけ」
と不満を抱くことになる。

時間に追われるな、時間を追え。
仕事に振りまわされるな、振りまわせ。
人間関係にわずらはされるな、わずらわせ。

すべては自分が決めること。
そのことに気づけば、人生はもっと楽に、そして積極的になれるのだ。

お盆参りの日程を見ているうちに、そんな思いがよぎった次第である。

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