歳時記

救われ難きは、私か愚妻か

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連休の観光地は、どこも多くの人出で大賑わいだそうで、高速道路の大渋滞の様子がテレビに写っている。

「そうまでして遊びに行きたいのかしらねぇ」
愚妻があきれている。

愚妻のこの発想は、かつてフランスのマリー・アントワネットが庶民の生活苦を見て、
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
そう言ったのと同じである。

私が自由業であるため混雑する休日に出かけることはなく、いつも平日であることから、愚妻も「休日」のありがたさがわからないのだ。

日帰り温泉は混雑しているだろうということで、愚妻は家でノンキにしているが、これは平日に行けるからである。
そこに思い至る必要があるだろう。

だから、私はさとした。
「誰も好き好んで混雑時にレジャーに行ったり、風呂に行くのではない。休みの日にしか行けないのだ」

言ってから、余計なことだったと思ったが、もう遅い。
「あら、そう。でも、それだけ世間の人は平日は頑張って働いているということじゃないの?」
イヤ味を言う。

物書きという自由業の悲しさ。
私の努力は〝アヒルの水かき〟と同じで、表にあらわれにくいのだ。

だが、最近は違う。
僧侶に目覚め、法務を頑張っている。

だから愚妻に言い返す。
「この連休を見よ。法事がつまっていて、わしは〝連勤〟ではないか」
「なによ、晩年になってちょっと頑張っているだけでしょ」
フンと鼻を鳴らした。

救われ難きは、私か愚妻か。
お釈迦さんに訊いてみたいものである。

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