このところバタバタしていたので、昨夜遅く、久しぶりに日帰り温泉に出かけた。
週末の金曜日とあってか、若者グルーブが多く、露天風呂やサウナ室でにぎやかにダベっている。
露天に浸かって彼らを眺めていると、愚妻がテレビ見ながらつぶやいた言葉が脳裡をよぎる。
「いまの若いコは、日本がウクライナみたいに侵略されたら戦ってくれるのかしらねぇ」
そして、
「やらないわよね、きっと」
あっさり言ったので、
「心配するな、わしが戦う」
力強く言ったが、
「邪魔になるだけじゃない」
可愛げのないことを言うのだ。
それはともかく、ロシアのウクライナ侵攻に端を発し、いかに平和が危ういものか、うちの愚妻ですら目が覚めた。
スウェーデンとフィンランドがあわててNATOに加盟申請の構えを見せるなど、国際情勢は緊迫している。
台湾有事、尖閣列島と北方領土をめぐる緊張、北朝鮮の暴挙など、いつ何が起こるかわからない。
そう考えると、祖国を守るという気概は、軍備増強の是非とは別次元の根幹的なものとして、いまいちど考える必要がある。
日本の戦後教育に欠けているのは「愛国心」の涵養である。
愛国心という言葉を口にするだけで、
「右翼!」
と呼ばれる。
日の丸もしかり。
オリンピックやサッカーの試合で日の丸の旗を振りはしても、これを日常生活で用いれば、
「右翼!」
と言われる。
日本の国旗は、いまやスポーツの応援グッズになってしまっているのだ。
お釈迦さんは「兵戈無用」を説いた。
これは「武器も軍隊もいらない」という意味で、そのとおりだが、2500年がたっても、国際社会は「武器と軍隊」による弱肉強食が続いている。
そうした中で日本の防衛はどうあるべきか。
答えは難しいとしても、教育における「愛国心」の涵養は長い歳月がかかるだけに、もっと力を入れる必要があるだろう。
いや、よくよく考えてみれば、愛国心は自然にそなわっているものであって、
「愛国心の涵養が必要である」
と、わざわざ言うこと自体、妙なことなのだ。
そのことに気づくかどうか。
コロナ、そしてロシアのウクライナ侵攻は、時代の大きな転換期を私たちに告げているのかもしれない。