歳時記

釈迦は何と言うか

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今朝も2時前に震度4の地震だ。
愚妻がすぐ私の部屋に入ってきて、
「震源地は千葉市あたりみたいよ」
と知らせてくれる。

自室のテレビをすぐつけたとか。
ヒマな女だ。

「ヤバイぞ」
「大きいのが来るかしら」
「来る」
「どうして?」
「2度あることは3度ある」

愚妻はコクリとうなずいて、寝室に引き上げていった。
納得術としての「ことわざの力」に、あらためて感心した次第。

今日も外出自粛が続く。
テレワークのいっそうの推進を政府は呼びかけている。

それに反比例するように、「対面」でなければ真の人間関係は築けないといった声はかすんでしまった。

「人間関係の技術」や「相手のホンネを見抜く技術」は、今度のコロナ禍で確実に変わっていくだろう。

「寡黙だけど、とっても感じがいい人」
といった評価は成立しなくなる。

「沈黙は金、雄弁は銀」
といった諺は死語になる。

当然、「価値観」も「人生観」も変わる。

だが、歴史を振り返れば、劇的に「価値観」が変わった時代はいくらでもある。

それでも仏教など世界宗教は一貫して私たちに「普遍の価値観」を説き、それを心の拠り所として生きている人は洋の東西を問わず沢山いる。

時代の変化に応じて変わっていくことは大事だ。
だが、変わってはいけないものもある。

変わってはいけないものがあるから、それを墨守し、軸とすることで「変わる」が成立する。

生き方に「不変」を持たずして時代に流されてはいけないと、たまには真面目に考えたりもするのだ。

いま、仏教について調べ事をしているが、釈迦が2500年後の現代を見たら、私たちに何と説くだろうか。

仕事部屋に籠もりながら、釈迦と対話する。
外出自粛のいま、私のひそかな楽しみである。

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