歳時記

「デジタル式」思考

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あわただしい日が続く。

昨日は葬儀会場で「導師」と呼ばれ、急いで道場に帰れば「館長」と呼ばれ、そのあと保護観察対象者に面接すれば「先生」と呼ばれ、愚妻は「ちょっと」と名詞も敬称も略で呼ぶ。

その都度、デジタル式に頭を切り換えるのだが、コツは目前の責務に全神経を傾注すること。
溜め息なんかついていないで、ファイトファイトで全力投球するのだ。

つまり自分を鼓舞する。

ところが、ノンキに生きている凡人愚人にはこのことがわからない。

「ちょっと、幼児相手に楽しむのもいいけど、あとでヒザが痛いなんて言わないでよ」
愚妻が昨夕、道場で眉をしかめた。

私は楽しんでいるのではなく、目前の責務に全力投球することで、溜め息を封じていることが理解できないのである。

「誰が楽しんでおる。わしは指導者として稽古に全力をつくしておるだけだ」
「じゃ、あっちが痛い、こっちが痛いなんて言わないでよ」
「それは論点のすり替えである」
「だって、あとで必ず言うじゃないの」

忙しいときに、愚妻はくだらない論議で私の足を引っ張るのだ。

明日から7月。
仕事が遅れていて、気が気ではない。
だが、ものを書くというのはデジタル式にはいかない。
無から有を生じさせる仕事だけに、何に向かって全力投球していけばいいのか、ここが実に難しいのだ。

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