身体の老いはしょうがないとしても、精神を若く保つ秘けつはある。
怒ることである。
義憤より私憤がいい。
安部総理に怒ってみても、向こうから反撃が来るわけがないので、ノレンに腕押し。
むしろ精神衛生上、よろしくない。
私憤は違う。
反応がダイレクトである。
昨夜、愚妻に、
「おまえさんの首は縮んだみたいだな。縮んだ首にネックレスは不要だろう。2度と買ってはならない」
私が言うと、
「どこが縮んだのよ!」
私憤である。
ダイレクトに反撃してくる。
「見ればわかるではないか」
「あなたなんか、最初から首が無いじゃないの!」
「バカ者、どんな仕事をしてもクビにならないように、わざと短くしておるのだ。それに引き替え、おまえの首は無用に縮んでおる」
「言ったわね!」
怒ったときの愚妻は元気溌剌なのだ。
愚妻は、私のこのやさしい気づかいを知らないでいる。
「阿弥陀如来は、凡夫の私たちを救おうとしてくださっているのに、私たちはこのお慈悲に気がつかないでいる」
と、話を続ければ法話になるのではないか思ったが、「愚妻の首」を枕に振ったのでは、ちっともありがたくはあるまい。
愚妻を元気にするのは簡単だが、法話は難しいのだ。