テレビを観ていたら、
「アレクサ、電気」
「アレクサ、テレビ」
と、アマゾンのデバイスに向かって言えば、それを実行してくれるというCMを流していた。
便利になったものだと感心したが、
(待てよ)
と思った。
考えてみたら、我が家には40年前から「アレクサ」がいるではないか。
「おい、お茶」
「おい、メシ」
「おい、靴下」
と言えば、「我が家のアレクサ」は即座に実行する。
AIの時代だと世間は浮かれているが、笑わせてはけない。
私は結婚当初からAIを使用しているのだ。
ただ、「我が家のアレクサ」はアナログなので、一度にたくさんの命令を発すると、
「ちょっと、自分でやりなさいよ!」
頭から湯気を出すので、使用には注意を払う必要があるが、それを除けばなかなか便利である。
だが、いまの時代、私のこういう処し方は「亭主の横暴」として糾弾される。
これを住みにくい時代になったと受け取るか、
「私はいい時代を生きてきた」
と納得するか。
晩夏を迎え、「アレクサ」に人生を回顧するのだ。