昨日は墓参り。
霊園なので、大勢の人たちがお参りに来ていた。
若い両親や、幼い子供が一所懸命にお墓を掃除している。
宗教離れが叫ばれて久しいが、こうした光景を目の当たりにすると、仏教離れの真因は寺や僧侶、教団の姿勢にあるのではないかと思う。
経済原則にのっとれば、葬儀社が利潤を追求するのは当然だが、それが結果として葬儀費用の高騰を招き、葬儀離れを加速させた。
ならばというので、家族葬など安価な葬儀を考え出す。
葬儀社にとって葬儀はビジネスだからそれでいい。
だが、僧侶はどうだろうか。
僧侶派遣会社の社長が、
「うちの登録者は、寺持ちの住職さんが半数以上です」
と私に言っていたが、住職といえども霞(かすみ)を食って生きていくわけにはいかず、経済活動は必要だ。
となれば、一般バイトのハケン会社と同じで、葬儀の仕事を回す僧侶派遣会社が強くなる。
かくして派遣会社の膝下となり、僧侶の本来のあるべき姿から次第に遠くなっていき、結果が「仏教離れ」につながっていく。
こう考えていくと、「坊主で食う」という処し方に問題があるという結論に達する。
ほかに生活の手段を持っていれば、坊主で食う必要はなく、活動はフリーハンドである。
これは坊主に限らず、「その道で本気で生きよう」と欲するなら、「その道」を生活の手段にしてはならないということになる。
坊主として本気で活動するなら、坊主としてメシは食わず。
そんなことを思った墓参りである。
「その道」で稼がす
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