空手の指導をしていて、
「女子は筋力が弱いから、突くときは……」
と説明かけると、
「館長、それって差別だよ」
小学校高学年の女の子たちから異議の声があがった。
「女子は筋力が弱い」
というのは、差別だと言うのだ。
差別に敏感になるのは大いに結構なことで、教育はここまできたと感心しつつも、何でもかんでも「差別」の一言で異を唱えるのは間違いではなかろうか。
そう思い、
「差別と区別は違う」
と言ったが、彼女たちは私の弁解と受け取ってか、聞く耳を持たない。
そこで、こんな話をした。
「男子にだけトイレがあって女子になければ、これは差別。その逆も同じだ。だが、男子にも女子にも平等にトイレがあって、両者を分けて使用するのは、これは区別と言って、差別ではない」
このたとえに反論はなく、どうやらわかってくれたものと思ったところが、一人の女子が言った。
「どうしてトイレなの?」
なぜトイレをたとえに出すのか、と素朴な疑問を口にしたのだ。
これには私も返答に詰まった。
だが、そこは年の功。
「わかりやすいだろう。ほかにたとえがあったら言ってみろ」
質問に質問で答える。
みんな考えていたが、
「ない」
とギブアップ。
「そだろう。だからトイレなのだ」
差別と区別が、いつしかそんな話になっていったのだ。
子供たちは大人が思っている以上に、いろんな意味で知識を吸収していく。
それは、とてもいいことだ。
だが、その知識を「自分の価値観」で善悪の二極に判断していく。
「教育」ということについて、考えさせられるのだ。
「差別」と「区別」
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