中小出版社の社長に会うと、
「誰かいい人いませんかね」
と、必ずと言っていいほど問われる。
優秀な編集者はいないか、というわけだ。
すると、私はこう言う。
「いますよ。ただし、その人の今の年収の三倍を払うなら」
これで話は終わる。
私たちは価値観を「金銭」において換算する。
「今の年収の三倍」を支払ってくれる会社は、「いい会社」だ。
料理だってそうだ。
たとえば、AとBのステーキを比較する場合、
「どっちがうまいか」
という視点で比較すべきものであるにもかかわらず、Aが千円で、Bが三万円のステーキとなれば、「三万円」のほうが価値が高くなる。
こう書くと、
「対価が価値のバロメータになるのは当たり前だ」
という反論が出るだろう。
ならば、私の空手道場を月謝なしにしたらどうか。
会員は得をする。
では、会員がどんどん入会してくるだろうか?
来ないだろう。
同じ指導であり、無料は金銭的に得をするにもかかわらず、「価値」は低くなるのだ。
ここに「対価=価値」のまやかしがある。
対価を高くすれば、価値は高くなる。
「このマフラー、十万円だぜ」
「すげえ!」
と、こうなるのが私たちなのである。
「易きものに価値」なしと言うが、「安いもの」にも価値はないのだ。
残念だが、私たちはそういう価値観で生きている。
「安いもの」に価値なし
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