五輪エンブレムは使用中止になったが、デザイナーの佐野研二郎氏に対するバッシングはヒッアップするばかり。
「あれに似ている、これに似ている」
とネットはにぎやかなものだ。
いつぞや、このブログで、
《 五輪に採用さえされなければ、トップデザイナーとして今も、これからも活躍し続けることができるだろう。
「人間は得意の絶頂でつまずく」》
と書いたが、その思いを新たにしている。
私は東京五輪には関心がなかった。
昭和39年の東京五輪がそうであったように、五輪は「発展途上の国」がそれをステップにして、より発展を遂げればいい。
「いまさら東京が」
という思いがあり、東京五輪には反対だったし、いまもそうだ。
「浮かれている場合か」
と腹立たしくさえある。
だけど、皮肉にも、新国立競技場とエンブレムが論議を呼び、白紙になったことで、東京五輪は大いに国民の関心を集めることになった。
「やめちまえ!」
という声は起こらず、
「今度つくるエンブレムは」
と、〝前向きの論議〟になっている。
「悪名は無名に勝れり」
というが、ホントですな。
そのうち、「アクシデントを乗り越えて成功させよう」と世論はリードされるのだろう。
年金も、原発も、あれほど大騒ぎしておきながら、すっかりエンブレムの陰に隠れてしまった。
大騒ぎというやつは、それが大きければ大きいほど、ひとたび関心が薄れ始めると、一気に忘れ去られてしまうのだ。
安保法制が気になる。
東京五輪なんて。
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