テレビの「お天気キャスター」に対して、いささか腹立たしく思っている。
晴れても降っても本当はどちらでもいいのだが、雨に濡れると紬の着物は縮むことがあるので、一応、天気を気にする。
以前、塩沢紬の単衣を着ていて、水滴がポツンと袖に降りかかり、帰宅して何気なく見やると、そこだけ縮んで凸凹になっていた。
だから、雨が振るかどうか、前夜の天気予報は気になるというわけだが、これが腹立たしいのだ。
予報だから外れるのは仕方がない。
だが、外れたら一言あってしかるべきではないのか。
「明日は気温が上がりますので、熱中症に注意してください」
したり顔で言っておきながら、翌日、曇り空になると、
「今日は過ごしやすい一日になるでしょう」
昨日の予報は頬っかむりして、シラっとして言う。
「コラっ! 今日の予報をする前に、間違っていましたと一言あやまらんかい!」
思わずテレビに噛みつくのである。
昔、競馬をやっていたころ、船橋競馬場に行くと、私は興味があって予想屋の行動をずっと見ていた。
レースが終わって予想が外れると、予想屋氏はそそくさと別の場所へ移動していく。
そのときの雰囲気が、
(外れてヤバ!)
という感じがよく出ていて、実に微笑ましかった。
ところが、「お天気キャスター」には、この〝申しわけない感〟がまったくない。
おそらく気象庁の発表をもとに、「しゃべり口」を変えてみせるだけで、
「責任は気象庁にあって、私にはありません」
という気持ちが潜在的にあるからだろう。
自分で考えた「予報」であるなら、競馬の予想屋氏のように、それぞれ予報は違ってくるのではないか。
「明日は気温が上がって熱中症に注意を気象庁は呼びかけていますが、私の予想では曇ると思います」
と堂々と言ってのけ、的中率を誇ってこそのプロの「キャスター」なのだ。
「私は今週の予報は、すべて的中させました!」
といったキャスターは出てこないものか。
天気予報に思う
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