歳時記

さて、僧侶として

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 昨夜は僧侶仲間たちと一献傾けながら、今後の活動について話し合った。
 私たちの僧侶としての立場を客観評価すれば、次ぎようになる。
「寺を持っていない」
「僧侶活動でメシを食っているわけではない」
「それでいて、葬儀社にパイプがある」
「それぞれが得意分野で仕事を持っていて活動している」
 マイナス部分はプラスに、プラス部分はさらにプラスに転じるというのが私の持ち味なので、得意分野の能力や人脈を持ちより、活かせば面白い活動ができそうだ。
 今後の活動方向が具体的に見えてきた。
 問題は、これをどう実施プランにしていくか。
 企画立案、ロードマップの作成、交渉とやるべきことがいくつもあるが、これを「楽しみ」と考えればワクワクしてくる。
 実務も練習しなければならない。
 日時が合えば、法務も引き受けるようにしている。
 併せて教義の勉強もしなければならない。
 だが年齢から考えて、
「仏教(浄土真宗)を勉強して、現実に対峙する」
 という方法は、時間的に無理だろう。
 したがって、
「現実を見て、それに添って仏教を勉強する」
 という方法になるだろう。
 空手を指導していて思うことだが、年配者に対して基礎から指導していたのでは、黒帯取得は年齢と競争になってしまう。
 だから基礎を指導しつつ、現実に即した技の使い方を併せて指導する。
 仏教も、それと同じ手法で取り組もうというわけである。
 宗教離れが指摘されて久しい。
 それは近年、ますます加速していると思う。
 言い換えれば、僧侶として行動を起こすにはチャンスということでもある。
 今年はその準備期間として行動するつもりだが、一方で、書いておきたいテーマがいくつか出てきた。
 いま八冊の執筆を引き受けているが、それ以外に書いてみたいテーマであり、取材を要するものもある。
 昨年末に渡す原稿が延び延びになり、編集者に迷惑をかけているテーマもある。
 人生の残り時間を考えると、「時間が足りない」ということを痛切に感じるのである。

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