ウォーキングを始めることにした。
意味はない。
「なぜウォーキングが人気なのか?」
ふと、そんな思いがよぎり、体験してみたくなったのである。
「おい、ウォーキングを始めるぞ」
愚妻に命じると、
「一人でやって」
アクビをしながら言う。
「そうか。だがな、人間は足から衰えるんだぞ。歩けなくなったら旅行に行っても難儀するぞ。飲みに行くのも難儀するぞ。健康ランドに行くのも難儀するぞ。それでもいいのか?」
「やるわ」
ゲンキンな女なのだ。
さっそく、愚妻用にトレッキングステッキを購入。
キリがいいところで、3月1日の朝6時スタートと決めたころが、
「あら、天気予報は雨だわね。2日からでいいんじゃない?」
こともなげに「先送り」を口にする。
「なぜ2月28日からと、前倒しにしないのだ」
と叱責しようとして、やめた。
これは性格の違いなのだ。
「違い」は認めるものであって、正すものではない。
正そうとするから、腹も立つ。
このことに思い至ったという次第。
それにしても、ウォーキングを継続できるのだろうか。
その昔、スカッシュをやろうと思い立ち、ラケットも揃えたが、 ほんの数回やっただけで、
「足が痛いわ」
と言って愚妻はやめた。
居合いを習うため、模擬刀も袴も、木製の槍も買いそろえたが、
「手首が痛いわ」
と言って愚妻は途中でやめた。
プチ断食も、愚妻はさっさとやめてしまった。
私は「坊主」で、愚妻は「三日坊主」。
そんなフレーズが脳裏をよぎる。
いま、深夜の3時過ぎである。
ウォーキングを思い立つ
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