大晦日。
今年も、今日で終わりだ。
「終わりよければ、すべてよし」
と先人は喝破したが、「すべてよければ、終わりよし」ではないところに、先人の知恵が見て取れる。
デタラメに過ごした一年であっても、今日という大晦日を心穏やかに過ごし、
「ああ、今年もいい年であったナ」
と深く感じ入れば、「この一年、すべてよし」ということになるのだ。
何やら真宗的な考え方のような気がしないでもないが、「終わりよければ」は奥の深い言葉である。
昨日、拙宅の庭を見て驚いた。
いつ買ってきたのか、「プランター畑」のためのビニール温室が、デーンと組みあがっているではないか。
「バカ者、プランターを買うのが先だ」
と叱責したら、
「プランターはいつでも買えるでしょ」
愚妻が居直って、
「温室は、天気のいい日に組み立てなくちゃダメなの」
と反論する。
楽しみになるはずの「「プランター畑」でさえも、我(が)を通してツノをつき合わす。
人間は、まことに度しがたいものではないか。
「終わりよければ、すべてよし」で、今日は心穏やかにしていようと、いま自分に言い聞かせたところである
この一年、ブログを笑覧くださり、ありがとうございました。
「終わりよければ」
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