今朝、千葉県は大雨警報が出ていた。
このところ忙しく、疲れもたまっていたので、
(じゃ、稽古が始まる夕方まで寝てるか)
ということになるのだろうが、今日は「千葉県総合型地域スポーツクラブ」の総会があり、そこで記念講演を依頼されていた。
テーマは「命の大切さ」で、〝僧侶色〟の強いものである。
いい機会でもあり、ここ数日、「命」ということについて考えをめぐらせた。
「命」と「いのち」は違うという仏教的な視点は、もちろん承知はしているが、「命の大切さ」となると、これがよくわからない。
いのちが尊いことはよくわる。
「自分のもの」でないという仏法の教えもわかる。
大切にするという意味も理解できる。
それでも、何となく腑に落ちないものがあるのは、
「いのちを大切にする」
ということが、具体的にどういう生き方を言うのか、ピンとこないからだろう。
ヤクザが抗争事件で命を懸けるのは、「いのちを大切にする」ということに反するだろう。
ならば、宇宙飛行士はどうだ。
彼らのチャレンジは、「いのちを大切にする」という生き方に反しないのか。
「人類のために」
ということで正当化されるなら、「いのちを大切にする」には前提条件がつくことになる。
それで本当に、いのちを大切にしたことになるのか。
「いのちを大切にする」
という、誰もが口にし、その意味を疑うことのないテーマは、実に難しいということに改めて気づかされた。
「いのち」だけでない。
私たちがその本質を深く考えることなく、日常的に用いている「当たり前の言葉」はたくさんある。
概念として見過ごしてはなるまい。
講演準備で気づいたこと
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