今日は、ご縁をいだいて、ケアハウスを見学。
友人N氏のご母堂が、このケアハウスの施設長を務めておられ、ケアの現状と問題点などについて、懇切にレクチャーしていただいた。
熟年女性ながら元気溌剌の「施設長さん」で、笑顔が絶えず、利用者たちがみんな寄ってくる。
高齢者あるいは介護者の施設の良否は、結局、リーダーの人間性が決めるということを痛感した。
いや施設に限らず、組織や集団はリーダーで決まるということになるだろう。
生きていれば、すべての人が否応なく熟年に至る。
まして日本は高齢社会。
晩年を「どこで、何をして、どう生きていくか」という問題は、すべての人が直面する。
N氏は、理想とするケアハウスを熱っぽく語ってくれた。
一言でいえば「高齢者自身による福祉文化の創造」ということだ。
そのためには、何を、どうすべきか。
私で役に立つことは何か。
そんなことを考えながら高速道路を走っていると、友人僧侶のI氏から電話。
知人に直葬を頼まれ、ボランティアで読経をするという。
素晴らしいことではないか。
「利他」ということについて、あらためて考えさせられる。
「努力」は貴いことだし、他人の生き方にとやかく言うつもりもないが、武道やスポーツで汗を流すことが「自分のため」であっては、努力も色あせて見えてくるのだ。
自分のため以外に、少しでも汗を流す。
ワガママに生きてきた私は、そろそろそんな生き方を真剣に考える年齢だろうと、たまにはマジメに考える。
大きな収穫のあったケアハウスの見学であった。
ケアハウスを訪ねる
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