今朝、露天風呂につかっていたら、お爺さんが、
「失礼ですが、お坊さんですか?」
と話しかけてきた。
いつもは、作務衣か和服に金ブチ眼鏡、もしくは色つき眼鏡なので〝怪しい人〟に見られるのだが、風呂では裸。
服装という〝予断〟がなく、スキンヘッドを手かがりに、お爺さんはそうおっしゃったのだろう。
すると不思議なもので、しゃべり方など坊さんのように振る舞ってしまうのだ。
これが〝怪しい人〟に見られるときは、言葉づかいや態度など、何となくぞんざいになってしまう。
どうやら人間というやつは、良くも悪くも「どう見られているか」という〝期待〟に応えようとするもののようだ。
「悪い人間」と見られていると思えば悪く振る舞い、「良い人間」と見られていると思えば、良く振る舞う。
こう考えると、たとえば道場の子供たちに対して、
「お前は稽古をマジメにしないからダメだ」
と叱責すれば、〝期待〟に応えて不マジメな稽古になるのではないか。
ホメて指導しよう。
「北風と太陽」である。
このことに気づいただけでも、今朝の風呂は意味があったと、これは私の勝手な思いである。
露天風呂で考える
投稿日: