「長寿」は、諸悪の根源ではないか。
若い者がこう言えば角が立つが、61歳の私であれば「人生観」として受け流してもらえるだろう。
実際、長生きして、ろくなことはない。
身体はヨロヨロで、あっちが痛いこっちが痛い、高血圧だ何だとビョーキと二人三脚。
昔なら、とっくに娑婆とオサラバしている人でも、医学の進歩とやらで無理やり生かされている。
20歳や30歳で死ねば気の毒だと思うが、70歳で死ぬ人間が80歳まで生きたからといって、それがハッピーなのだろうか。
「太く短く生きたい」
と本気で願ったのは、たしか私が二十歳前後のころだった。
非才ゆえ、人生は結局、「太く」はならなかったが、
「太くならずとも、人生、細く短くでいいのだ」
と思うようになった。
仏教では、
「命に軽重はなく、人間は生きているだけで尊い」
と教える。
そのとおりだと思う。
だが、それは一般論であり、「他人の命」に対して言うことであって、いざ「自分の命」となると、
「生きてはいても、ただ息をする存在というはイヤだなァ」
と思うのである。
「死」対する考えでさえ、本音と建て前がある。
人間は救いがたいものであると、つくづく考えさせられるのだ。
救い難きは人間である
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