歳時記

議論の「千日手」

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 昨夜、メシを食べに行こうとして、愚妻のステッキが玄関に置きっぱなしになっていることに気がついた。
 使っていないのだ。
 わざわざ京都で買ったのに、これはどういうことだ。
「おい、なぜステッキをつかんのだ」
 と問うと、
「痛くないから」
 と答える。
「治ったのか」
「治らない」
「ならば、なぜステッキをつかんのだ」
「痛くないから」
「治ったのか」
「治らない」
 堂々めぐりの会話である。
 要するに、地元ではカッコつけているのだが、それは頑として認めず、「痛くない」を強調するのだ。
「転ばぬ先の杖(つえ)というではないか」
「私、転ばないから」
「そういう意味ではない」
「じゃ、どういう意味よ」
「転ばないように杖をつくということだ」
「だから私、転ばないから」
 これも堂々めぐりとなる。
 将棋に「千日手」というのがある。
 同じ局面の繰り返しになって勝負がつかなくなることで、ルールでは、千日手になった場合はその勝負はなかったことにする。
 愚妻は将棋には無知はだが、本能的に「議論の千日手」を知っているのだろう。
 たいしたものだと感心もするのだ。

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