歳時記

お釈迦さんの説法

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 お釈迦さんの説法は「納得術」である。
 たとえば、よく知られた「赤ん坊を亡くした女」の話。
 半狂乱になった女は、お釈迦さんを訪ね、
「どうかこの子を生き返らせてください」
 と懇願する。
 すると、お釈迦さんは大きくうなずき、
「私の言う条件を満たすなら、その子を生き返らせてあげよう」
 と言って、一つの条件を課す。
 それは、
「この町の家々を訪ねて香辛料をもらってきなさい。ただし、香辛料をもらうのは、身近な者が誰ひとりとして死んだことのない家だけにかぎる」
 というものだった。
 香辛料はインドではどの家庭にもある。
 これはたやすいことと、女は町へ飛び出していったが、ついぞ香辛料をもらうことはできなかった。
 身近な者と死別を経験しなかった人間はひとりもいなかったからだ。
 お釈迦さんはこの事実をもって
「死は、すべての生けるものに起こる。悲しむべきではない」
 と「愛別離苦」を説き、女はこれをさとって、お釈迦さんに帰依する。
 これがもし、「香辛料をもらってきなさい」という〝実践〟を抜きにして、
「死は、すべての生けるものに起こる」
 と、お釈迦さんが説いたなら、女は決して耳を傾けることはなかったろう。
 どの家からも香辛料をもらえなかったという体験があって初めて、女はお釈迦さんの説法に納得する。
「理解」ではなく「納得」である。
 だから、お釈迦さんの説法は深く心にしみてくるのだ。
 たまに法話を聞くが、ほとんどの講師が「理解」の視点で説く。
 だから腑に落ちてこない。
 人間の誰もが共有する「体験」をベースに説いてくれれば、
「そうだ、そうなんだ」
 と「納得」するだろうにと、岡目八目で思うのである。

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