歳時記

「無事に生きる」ということ

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 日航パイロットが盗撮容疑で警視庁に逮捕された。
 駅ホームで、女性会社員のスカートの中を、携帯型音楽プレーヤーのカメラ機能を使って盗撮したという。
 44歳である。
「バカなやっちゃ」
 と世間は思うだろうし、私も思う。
 家族もいるだろう。
 失うものは、はかりしれない
 しかし、本人もそのことはわかっているだろう。
 わかっていて、やってしまうことに、人間の業の深さというものを考えないわけにはいかない。
『歎異抄』に、親鸞の言葉として、次の一文がある。
「一人(いちにん)にても、かなひぬべき業縁(ごうえん)なきによりて害(がい)せざるなり。わが心よくて殺さぬにはあらず。また害(がい)せじと思ふとも、百人・千人を殺すこともあるべし」
 意味は、
「原因と条件がそろっていなければ、一人といえども害せない。心が善(よ)いから殺さないのではないし、反対に、害せずにおこうと思っていても、原因と条件がそろえば百人千人を殺してしまうことのもあるのだ」
 人間の行いは「心の善悪」や「意志」によって決定されるのではなく、「縁」によると親鸞は言う。
 虫一匹殺せないようなやさしい人が、縁によって戦場に駆り出されれば敵兵に向けて銃を発射する。
 善良な市民でいられるのはたまたまそうであって、縁が整えば鬼畜にも殺人者にもなるのが人間だというわけである。
 これは仏教の根本思想である因縁生起(いんねんしようき)について説いたものだが、
「バカなやっちゃ」
 と思うことを、私たちは「因縁」によってしでかしてしまうのだ。
 怖いことだ。
 だが、この怖さを真に知れば、「無事に生きる」ということの意味も、また違った受け止め方になるのではないか。
 日航パイロットの盗撮容疑に、そんなことを考えるのである。
  

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