演舞会が終わり、一段落。
といっても、これから試合や合宿など、10月まで毎月空手行事が入っている。
「いい人生じゃなの」
と、演舞会を手伝ってくれた娘がイヤミなことを言う。
娘は母親に似ると言うが、娘は三十半ばになって「ミニ愚妻」になってきたということか。
娘の夫君も、気の毒なものだ。
それはともかく、演舞会や稽古を通じて、ひとつ気づいたことがある。
小学校の低学年の子供たちに、
「今日、頑張った人」
と問いかけると、全員が「ハーイ!」と手を挙げる。
「上手になったと思う人」
と問いかけると、これも全員が「ハーイ!」である。
ところが、高学年に同じ質問をすると、
「ハーイ!」
とはならない。
もぞもぞしながら、顔を見合っている。
なぜか。
理由はいろいろあるだろう。
この歳になれば、自分を客観的見る目があるため、単純に「ハーイ!」とはならないということも、もちろんあるだろう。
だが、私が感じるところでは、彼らは素早く「質問の意図」に思いをめぐらせ、それに対して、どう答えるのが「自分にとって得か」を考えているように見える。
「上手になったと思う人」
「ハーイ!」
「じゃ、演舞してみろ」
と言われたのでは、たまらない。
「頑張らなかった人」
「ハーイ!」
「バカ者! どうして頑張らないんだ!」
と叱られても困る。
(館長は、なんでそんな質問をしてるのか?)
私の意図をさぐり、もぞもぞと顔を見合わせ、アイコンタクトしているというわけだ。
「質問は意図を隠すところに妙味あり」
彼らの戸惑う顔を見ていると、そんな思いが浮かんでくるのである。
質問は「意図を隠す」に妙味あり
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