歳時記

愚妻のヒザ痛と「お釈迦さま」

投稿日:

 愚妻が、ヒザ痛を訴える。
 訴えるといっても、私の胃痛のときのように、
「痛テテテテ」
 と素直に口にするわけではなく、私の前で足を引きずり、無言のアピールをするのだ。
 で、やむなく、
「どうした、ヒザが痛むのか」
 と私が声をかけ、
「そうなのよ」
 という会話になっていく。
「医者に行ってこいよ」
「でも、ヒザが痛いから」
「わかった、わしが連れて行こう」
 かくのごとく、私はいつも愚妻の計略に引っかかるのである。
 だが、今回はちがう。
「ヒザが痛むのか」
「そうなのよ」
「独生独死独去独来」
「なによ、それ」
「仏説無量寿経にいわく。人、愛欲の中にありて独り生まれ独り死し、独り去り独り来る。身(しん)みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし。つまり」
 と、私が解説する。
「おまえさんのヒザ痛は誰に代わってもらうこともできず、おまえさん自身が抱えて生きていかねばならないと、お釈迦さまは説いておる。気の毒だが、あきらめなさい」
 すると、愚妻は柳眉を逆立て、
「じゃ、あなた、胃が痛いなんて言わないでよ。痛風が痛いなんて言わないでよ。首が凝(こ)るとか、脊柱管がどうとか、腹が減ったとか一切言わないでよ」
「おいおい、腹が減るは関係ないだろう」
「だって、あなたのお腹でしょ。私には関係ないわ」
 お釈迦さんの深遠なる教えも、愚妻の前には木っ端微塵なのである。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.