「震災自粛」によって、消費が落ち込んでいるという。
観光地の旅館やホテルはキャンセルが続出し、飲食店は閑古鳥だそうで、事業者の方々はお気の毒だ。
だが、これは「自粛」のせいなのだろうか。
自粛とは「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」という意味で、要するに「我慢」を言う。
「観光旅行もしたいし、飲食もしたいけど、でも我慢」
というのが「自粛」である。
私も浮かれた気分にはならないが、だからといって旅行や飲食店に行くのを「我慢」しているわけではない。
我慢でなく、
「何となくそんな気分になれない」
というだけのことなのだ。
それがどうしてだか考えていたら、愚妻がこんなことを言った。
「大きな余震が来て、家に帰れなくなったらどうするのよ。誰だって、家から出る気分になれないわよ」
言われてみればそのとおり。
関西はともかく、関東に住む人の潜在意識にはそれがあるのだろう。
「余震はありません」
という〝宣言〟が出るか、余震のことを忘れるころにならなければ、「『自粛』の自粛」は無理だと思うのである。
それに、大震災前から日本は不景気だったのだ。
だから事業仕分けが人気を呼んだのではなかったか。
もっと言えば、自粛するほどに私たちは物心ともリッチではなく、今度の大震災は、萎縮していたその消費マインドをさらに落とし込んだに過ぎなまい。
おそらく『「自粛」の自粛』を声高に叫べば叫ぶほど、消費マインドは萎(な)えていくだろう。
「『自粛』の自粛」とは、各人がそれぞれお金をつかうことなのだ。国家の財政危機を叫ぶ一方で、「みんなで、お金をつかおう!」と囃(はや)し立てて誰が踊るだろうか。
以前、このブログにも書いたが、政府は復興のビジョンを示し、大震災をバネとして飛躍する日本の未来図を描いて見せれば、経済も、国民生活も活性化するはずだ。
人間は「感情の生き物」であることを忘れてはならない。
「『自粛』の自粛を!」と言っても、人は踊らず
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