歳時記

「石原都知事」と「蓮舫議員」

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 駅前でのことだ。
 タクシー乗り場は、客待ちのタクシーが長い列をつくっていて、運転手さん同士がタクシーから外に出て、談笑している。
 と、運転手さんのひとりが、車道から噴水脇の広いスペースまで歩いて行くと、ゴルフの素振りを始めた。
 もちろん、手には何も持っていないのだが、アドレスのポーズから初めて、フォローまで、何度も何度も〝素振り〟を繰り返している。
 天気はポカポカ陽気。
 コースを思い描いているのだろう。
 運転手さんの顔は生き生きとして見えた。
 この運転手さんの頭のなかには、おそらく大震災のことはないだろう。
 少なくとも、素振りの最中はないと思う。
(そうあるべきだ)
 という思いがよぎる。
 災害復興は長丁場だ。
「タイガーマスク現象」について、先日、このブログで書いたが、私たちは一時のブームに突き動かされた「伊達直人」であってはならない。
 被災地の人たちが普通の生活にもどれるまで、国民をあげて応援しつづけていくには、タクシーの運転手さんのように、ときには〝素振り〟を楽しむ精神的余裕が必要なのではないだろうか。
 石原都知事は花見・宴会の規制についてふれ、
「少なくとも夜間、明かりをつけての花見などというのは自粛すべき」
 と発言した。
 これに蓮舫議員が、
「権力による自由な行動や社会活動を制限するのは最低限にとどめるべき」
 と噛みついた。
 メディアは「(蓮舫議員は)経済活動に与える影響などを懸念している模様だ」と書いている。
 石原都知事は、花見・宴会を「心情」の視点からとらえ、蓮舫議員は「経済活動」の視点からとらえている。
 事業仕分けで名を売った蓮舫議員だが、私はかねて彼女に違和感をいだいていたが、その違和感がなんであたっか、花見・宴会の是非をめぐる彼女の発言でようやくわかったのである。
 二言目には「生産性」と「合理性」を口にする著名な女性評論家がいるが、私は生産性が落ちようとも、不合理であろうとも、人間にとってもっとも大事なものは「情(じょう)」であるという考えに、いささかの揺らぎもないのである。
 ドンチャン騒ぎせずとも、桜は楽しめる。
 コースに出なくても、客待ちのあいだにゴルフの素振りを楽しむことだってできる。
 権力による規制だの、経済活動だの、そんな次元と違う世界で、私は静かに桜を愛(め)でたいと思うのである。

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