歳時記

ワンちゃんの救出と「幸せ」

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 ご存じのとおり、宮城県気仙沼の沖合2キロの海上で、漂流する屋根の上にいた犬が救助された。
 震災の大津波で海に流されたとすると、過酷な環境を3週間、生き延びたことになる。
 その生命力に驚嘆すると同時に、さぞや心細かったろうと思う。
 わが家の駄犬「マック爺さん」は一日中、寝ている。
 丸々と太ってもいるので、
「ダイエットに散歩させろ」
 と愚妻に命じたところが、
「ダメよ。太りすぎで、散歩させたら足を悪くするって獣医から注意されているんだから」
 87歳の映芳爺さんが、マック爺さんの機嫌を取ろうとして、エサを与えすぎていることに原因があるのだが、マック爺さんの年齢を考えれば、いまさらダイエットでもあるまいか。
 それにしても、栄養過多とはマック爺さんは幸せものだが、本人はそのことに気づいてはいまい。
 いや、マック爺さんだけでなく、私もそうだ。
 だが、「幸せとは何か」と問われれば返事に窮するが、ただひとつ思うのは、
「自分は幸せなのか」
 と自問できること自体、幸せの証(あかし)なのではあるまいか。
 なぜなら大震災に見舞われた人、人生の危機に直面した人、後生の一大事に直面した人には、そんなことを自問する余裕はないからである。
 となれば、あれこれ悩みがある人は、乱暴に言ってしまえば「ヒマ」なのだ。
 悩みから逃れたければ、仕事に趣味にボランティアに、ヒマがなくなるよう自分を追い込むめばいいことになる。
 ところが悩み多き人ほど、立ち上がることをせず、座したまま、あれこれ頭のなかで考える。
「動きなさい」
 とアドバイスすると、
「でも」
 と尻込みをし、ヒマがヒマを呼んで、ますます溜め息をつくことになるのだ。

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