歳時記

審査会で考えたこと

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 昨日の審査会は無事、終わった。
「無事」というのは、
「なんとか昇級させることができて、ひと安心」
 という意味だ。
 試合ではないので、上手でなくもいい。
 型や約束組手を間違わないで〝フツー〟にやってくくれば合格させられるのだが、そうでない子がたまにいて、「追審査」「仮進級」という苦肉の策をとったりする。
 ところが今回は、そういう子がいなかったので「無事、終わった」というわけである。
 それにしても、
「あんなにヘタだったのに」
 と、上達に目を見張る子が何人かいた。
《最下鈍(さいげどん)の者も、十二年を経れば、必ず一験(いっけん)を得る》
 とは、天台宗開祖の最澄(さいちょう)の言葉で、
「どんなに愚かで才能のない人間であっても、ひとつのことを十二年続けていれば、必ず一つは秀でるものをつかむことができる」 という意味で、「継続こそ力である」と説く。
ちなみに《最下鈍》は最澄自身のことで、
「私のような最下鈍の者であっても、一つことを十二年も続ければ一験(いつけん)を得ることができた」
 とする。
 比叡山に籠もって修行したのが、十九歳から三十一歳まで。この修行年数が十二年というわけである。
 空手も同じだな、と思う。
 野球やサッカーのようなゲーム的な要素は少なく、反復練習の日々は、おもしくはあるまい。
 だが、それでも辛抱して稽古をしているうちに、いつのまにか、目を見張るほどの成長を遂げているものだ。
 運動神経がどんなに鈍くても、コツコツと継続していれば必ず上達する。
 空手の稽古を通じて、「継続は力なり」という〝人生の要諦〟を学んでくれればと、審査をしながら思ったのである。

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