歳時記

「空手をやめるため」の特訓

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 現在、空手1級で、次は初段にチャレンジする小学生のなかに、新6年生のA君がいる。
 不器用ということもあってか、A君は稽古がイヤになっている。
 だから身が入らない。
「稽古しないのなら道場をやめてしまえ!」
 とハッパをかけたところが、
「ボクだって空手をやめたいんですが、親が初段を取るまでは絶対にやめさせないって言うんですよォ」
 と、大人びた口調でボヤキながら、顔をしかめて見せるのである。
「そりゃ、困ったな」
 私もつい同情して、
「しかし、初段を取るのは難しいぞ」
「どうしましょう」
「おまえが本気で初段を取る気なら、館長も本気で教えるが、どうする?」
「頑張ります」
「よし!」
 かくしてA君の特訓を始めたのだが、やめさせるために一所懸命教えるとは、妙な気分である。
 が、しかし、考えてみれば、私たちもまた、死ぬために一所懸命生きているではないか。
 確実に死ぬとわかっていて一所懸命に生きるのは、空手をやめるために一所懸命稽古するのと同じだろう。
 そう考えれば、「やめるための稽古」もあっていいと納得した。
 だが、人生の場合は、どんなに一所懸命に生きたところで「確実に死ぬ」が、空手は違う。
 やめるための稽古であっても、黒帯を取ったら、
「もっとやろうかな」
 と思い直すことだってあるのだ。
 そんなことを期待しながら、昨夜も手取り足取り特訓した次第である。
 

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