私は、バレンタインデーが好きではない。
「チョコレートがもらえないからじゃないの?」
と、愚妻はまさに愚(おろ)かなことを口走るが、そうではない。
日本男児を自認する私としては、《夷狄文化》に浮かれることに抵抗があるのだ。
《夷狄》は「いてき」と読む。
本来は漢民族による異民族の蔑称で、《夷》は東方の蛮人、《狄》は北方の未開人のことを言うが、日本の幕末においては、恫喝をもって開国を迫った諸外国を指す。
そんなことから、ハロウィン、クリスマス、そしてバレンタインデーの3つを、
「夷狄の3冠王」
と、私はひそかに呼んでいる。
《ハロウィン》は、ヨーロッパを起源とする民族行事で、万聖節(カトリックの諸聖人の日)の前夜に行われる。
《クリスマス》は、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の祭日だ。
そして《バレンタインデー》は、キリスト教の聖人・聖バレンタインにちなんだイベントで、欧米では恋人同士がプレゼントを贈り合う日となっている。
すなわち、これら《夷狄の3冠王》は日本が戦争に負けて以後、占領軍とともに入ってきたもので、「日本の歴史と文化」とは何の関係もないのである。
《夷狄の3冠王》が悪いというのではない。
クリスチャンを批判しているのでもない。
無節操に浮かれる日本人に対して、抵抗感を覚えるのである。
文化は「先進国」から「発展途上国」へと伝播していく。
そういうことから言えば、《夷狄の3冠王》に日本人が浮かれるのは当然だったろう。
まして日本は、第二次世界大戦に負け、夷狄に占領されたのだ。
「メリークリスマス!」
と叫んで、アメリカンクラッカーを威勢よく鳴らすしもするだろう。
その日本が、勤勉刻苦して先進国の主要メンバーにまでなった。
だが、文化が「先進国」から「発展途上国」へと伝播していくという普遍のセオリーを考えるとき、「お花見」や「お盆」「お彼岸」など日本の伝統的慣習は、どれほど発展途上国でマネされているのだろうか。
エジプト政変のニュースで、エジプトの青年が街頭インタビューに答えて、こんなことを叫んでいた。
「これからエジプトも頑張って、ジャパンのようになるんだ!」
その日本はいま、不景気に喘(あえ)ぎ、忍び寄る無縁社会に悲鳴をあげている。
「夷狄(いてき)の3冠王」
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