歳時記

幸せは「自分の心」に棲む

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 レンコンの煮物、小松菜の煮物、スープ風シチュー、それにクロワッサン。
 今日のブランチである。
 タッパーに入っていて、電子レンジでチンしたものだ。
 昨日から九十九里の仕事部屋に来ているのだが、ここでは料理はしないため、愚妻が自宅から持参したものだ。
 レンコンの煮物にクロワッサンという異質の組み合わせは、そういう理由による。
 で、パクついていたら、テレビで「七草がゆ」を取り上げていた。
 そうか、今日七日は七草がゆを食べる日なのだ。
「おい」
 愚妻に言った。
「今日は七草がゆの日だぞ。しかるに、このメニューは何んだ。もっと日本の美しい習慣を大事にせねばならん」
「だから、小松菜を出しているじゃないの」
「小松菜は七草なのか?」
「らしいわよ」
 気になって、春の七草を調べてみた。
「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」
 とある。
「おい、小松菜なんぞ、入っておらんぞ」
「あら、そう」
 これで終わり。
 せっかく今日は「七草がゆの日」だというのに、私はレンコン、小松菜、スープにクロワッサン。
(なんだかなァ)
 の気分なのである。
 ちなみに七草がゆの習慣は、江戸時代に広まったものだ。
 年頭にあたって豊年を祈願するとともに、
「今年も家族みんなが元気で暮らせますように」
 と願いながら、おかゆをいただいたそうだ。
 料理本によると、
「七草がゆは、正月に食べ過ぎた胃に負担がかからず、回復にはちょうどよい食べもの」
 とあるが、これはあとでつけた理屈。
 七草は邪気を払うといわれ、今年一年の健康を祈って食べたのである。
 なるほど、健康は大切だ。
 健康であることが、幸せの基本ともされる。
「とにかく、お金よりも何よりも、健康であることが一番」
 と、私も思ってきた。
 だが、健康であることをもって幸せであるとするなら、不健康な人、病気の人は不幸せということになってしまう。
 そんなバカなことはあるまい。
 健康であろうがなかろうが、「いま在(あ)る自分」を幸せとするのが、本当の意味で幸せではあるまいか。
「健康が幸せである」というのは、間違った価値観であると、レンコンとクロワッサンを頬張りながら考えた。
「健康」を、「お金」や「容姿」「学歴」など置き換えても同じことが言える。
 お金があっても幸せ、なくても幸せ、イケメンであっても幸せ、ブ男であっても幸せ。
 人生は、そうでなくてはならない。
 すなわち「幸せ」は、自分の心に棲(す)むのだ。  

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