愚妻との会話は、禅問答に似た緊張感がある。
たとえば、今朝のことだ。
ひと風呂浴びてから居間のソファに腰を下ろすと、壁際にある受話器が赤く、ハデに点滅している。
「何だ、あれは」
愚妻に問う。
「ファックスのインクリボンを交換しろってサインよ」
「ならば、さっさと交換すればよかろう」
「忙しいのよ」
「点滅が鬱陶(うっとう)しいではないか」
「だったら、見なきゃいいでしょ」
このあたりで、私はやや劣勢を意識し、体勢を立て直す。
「バカ者。『見る』のではなく、『見える』のだ」
「横向いていれば」
今朝の第一試合は私の完敗だった。
と、唐突に原稿の書き出しが閃(ひらめ)いた。
だが、こうした閃きはすぐにメモにしておかなければ、たちまち雲散霧消してしまうのだ。
「おい、ポストイットはどこだ!」
台所に立つ愚妻に怒声を発する。
「無いの?」
声はノンキだが、鋭い返答である。
無いから「どこだ」ときいているのに、それを承知で「無いの?」と返答してくるのだ。
「バカ者、無いからどこだときいているのだ!」
と、私は怒ったわけではない。
直球が通じるほどヤワな女ではないし、私もそこまで愚かではない。
私は独り言のようにつぶやいてみせたのだ。
「そうか、無いか。印税の試算をしようと思ったのだが」
すると、どうだ。
愚妻は手をタオルで拭きながら、台所から駆け込んで来るや、
「ここ、ここにあるわよ」
さっとポストイットが私の面前に用意されただけでなく、ボールペンまで添えられていた。
欲という煩悩は人間を不幸にする元凶とされるが、とんでもない。
うまく刺激さえすれば、相手を意のままに動かすことだってできるのだ。
煩悩とは何とも重宝なものであることを、私は愚妻をとおして悟ったのだった。
かくして第二試合は私の圧勝となる。
煩悩を刺激すれば人は動く
投稿日: