歳時記

オナラと「人生の真理」

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 愚妻のそばを通りかかったとき、プッとオナラが出た。
「ちょっと、どうして私のそばを通るときにオナラをするのよ」
 コタツに当たってテレビを見ていた愚妻が、猛然と抗議する。
「そうではない」
 私は、救いがたい凡夫のために慈悲の心で諭(さと)す。
「わしがオナラをするとき、おまえがそばにいたのだ」
 このあと、どういう展開になったかはご想像におまかせするとして、ものごとは視点によって180度変わってくるということなのである。
 対人関係や交渉事に限らず、人生だってそうだ。
 たとえば、転んでケガをする。
「やれやれ、この程度のけがですんで、なんと運がいいのだろう」
 と喜ぶか、
「こんなケガしちゃって、なんと運が悪いのだろう」
 と嘆くか。
 ハーピーな人生は、もちろ前者である。
 なぜなら、どんな〝不運〟に遭遇しても、
「なんと運がいいのだろう」
 と喜ぶのだから、〝不運〟は存在しないことになる。
 ゆえに人生はハッピーというわけである。
 私はオナラを通して、愚妻に人生のこの真理を教えようとしたが、徒労に終わったようだ。
 クサイだ何だと腹を立てているようでは、人生の真理に気づくことは永遠にあるまい。
 私は、だから愚妻には苦労をし続けるのである。
 

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