歳時記

五輪のスキー大回転を見て考える

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今日は九十九里の仕事部屋にこもり、夜明けから日没まで原稿を書き、そのあと温泉健康ランドに出かけた。
 サウナ室のテレビでバンクーバー五輪のスキー大回転を見た。
 颯爽とカッコよく滑走するのを見ているうちに、
(わしでも、あのくらいは滑れるのではないか?)
 そんな思いがもたげてきた。
 スキーの経験がないから、簡単そうに見えるのである。
 いや、スキーは30年ほど前に1度だけやったことがある。
 新潟の苗場スキー場に、週刊誌の記者仲間たちと出かけたのだが、リフトで上がって滑り降り、再びリフトで上がって滑り降りる。
 同じことの繰り返しが興醒めで、早々にホテルへ引き上げ、2泊3日を飲み明かしたのである。
 ま、それはさておき、スキーのジャンプはテレビで見ていても、
(わしもできるのではないか?)
 とは思わない。
 経験はなくても、高いところからジャンプするということがどれほど恐怖するかを知っているからである。
 これを人生におきかえれば、「知る」ということは、人間を臆病にするということだ。
 たが、知らなければ、私かスキーの大回転に挑むようなもので、全身骨折である。
 知れば萎縮し、知らなければ大けがをする。
 人生とはなんと難しいものであるか。
 サウナで腕を組み、テレビをニラ見つけながら、私は唸るばかりであった。
  

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