「ほめる」ということが、最近、よく話題になっているようだ。
ギスギスした世のなか、「ほめられること」で気持ちが救われるのだという。
私も「ほめること」は大事だと思っている。
だから、稽古では、「叱る」より「ほめること」を常に考えている。
北風と太陽のたとえを持ちだすまでもなく、太陽のほうがはるかに効果的だと思うからだ。
だが、最近になって、ちょっと考えが変わってきた。
「ほめる」は、実は「叱る」があるから意味を持ってくることに気がついたからだ。
叱られるから、あるいは評価されないからこそ、ほめられると嬉しくなってくる。気持ちが救われる。
ということは、上手にほめるためには、いかに「上手に叱るか」ということが大事になってくるというわけである。
だが、叱り方は難しい。
ほめられて相手を恨む人間はいないが、よかれと思って叱ったことでも、逆恨みされることがあるからだ。
だが、「上手な叱り方」を抜きにして「上手なほめ方」は存在しない。
「叱る」という〝リスク〟を避け、ほめることばかりがクローズアップされるのは、社会全体において「事なかれ主義」の象徴のような気がするのである。
「ほめる」ということについて
投稿日: