歳時記

クルマのキィーを紛失

投稿日:

昨日は法事があり、拙宅から小一時間ほどの某市へ出かけた。

施主宅へおうかがいするときは早めに出かけ、地番を訪ねて確認することにしている。

事前にグールグルマップで調べてはいるが、密集した住宅地になるとカーナビの指示がイマイチのことがあり、当該の家がなかなか見つからないことがあるからだ。

クルマのデーラーに訊くと、カーナビがかつてのように儲からなくなり、メーカーが力を入れなくなったため精度が落ちているとのことだった。

そんなこんなで、正直言って面倒ではあるが、早めに拙宅を出発して訪問先の事前確認をしている。

で、昨朝。

早めに着き、施主宅を確認してから、近くにある開店前のスーパーの駐車場で時間調整。
9時になり、店がオープンしたのでトイレに寄り、クルマにもどってドアノブに手を掛けた。

(ン?)
ドアが開かない。

力を入れてノブを握る。
ウンともスンともいわない。

法衣の袂(たもと)に手を入れる。
(ない!)
クルマのキィーが入っていないではないか。

ロックできたのだから、その時点では袂にあったはずだ。
(落としたか?)
クルマの周囲と、トイレまでのルートを探すがない。

店に訪ねるが、開店直後だ。
拾った人がいても、まだ届けてはないだろうし、拾われたかどうかもわからない。
届けてくれるとも限らない。

クルマの中には法衣一式、経本、表白、携帯用の焼香炉、施主宅の住所、そしてスマホなどが入っている。

施主宅までクルマで5分ほどだったから、歩けば15分か。
土地勘のない場所だ。
うろうろすれば30分はかかるだろう。

スマホも関係書類も車内なので、施主に連絡することができない。
時間に訪ねなければ、施主から寺に連絡が行くだろう。
寺は私に連絡するだろうが、私は電話に出ることができない。

事前に寺に電話しておこうにも、いつもスマホでかけているので電話番号が定かではないし、周囲に公衆電話もない。

とにかく施主宅に行くしかない。

私の格好は、運転用に履いてる運動靴と、布袍(普段に着る衣)である。
輪袈裟もしていない。
ただし、なぜか深く考えることもなくポーチを肩から提げてクルマから降りたので、ポーチの中に予備の経本と、予備の表白(読み上げる文章)が入っている。
お勤めは大丈夫だ。

このとき、事前に下見をしておいてよかったとつくづく思った。

記憶をたどりつつ住宅地に入って行く。
ところが、似たような路地、似たような家が建ち並んでいて、迷い子になった。

人は誰も歩いていない。
あせっていると、前方からポスティングのオバちゃんが地図を見ながらやってきた。
(おッ、ラッキー!)

できすぎていて、まるで三文ドラマである。

オバちゃんにお願いして、地図を見せてもらう。
地図には苗字がびっしり書いてある。
訪ねるお宅の名前を告げると、オバちゃんが地図を指でなぞりながら、
「名前だけじゃねぇ。番地はわからないの?」

(番地を記憶していれば、私だって訪ねていける)
という言葉を呑み込み、現在地を確認し、目を皿にして表通りから入ってきたルートを辿り、
「あった!」

ついに見つけたのである。
現在地とは逆方向だった。
この地図がなれば、間違いなくたどり着けなかった。

開式予定の10分前に到着。
汗をかいて、ノドはカラカラ。
施主に事情を話し、法事らしからぬ格好でお勤めした次第。

だが、この経験で、事前の下見の大切さが身にしみてわかった。
ポスティングのオバちゃんに助けられたが、下見していなければ、スーパーから一歩も動けなかった。

まさに「段取り八分」。
何事も面倒がらず、事前準備は大事だ。

タイパ(タイム・パフォーマンス)という考え方がブームだが、一見してムダに思えることが、実は物事の要(かなめ)であったりする。

何が重要で、何がムダか。

タイパでなく、この見極めが大事だと考えさせられた昨日であった。

PS.
法事の後、スーパーに寄ったらキーが届いていて、ひと安心しました。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.