歳時記

「仕分け人」の弁明

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「奥さんの悪口をよく書かれますが、大丈夫ですか?」
 私のこのブログについて、心配してくださる人が最近、何人かいた。
「悪口ではありません。人間の愚かしさについて、参考までに書いているだけです」
 私は毅然と反論する。
「それに」
 と、これは声に出さず、
「愚妻は自分のパソコンを持っているが、私のブログを読むことはないのです」
 ついでながら、愚妻は拙著も読んだことがない。
 一冊も、である。
 だから、
「何を書いているの?」
 とも訊ねない。
 訊ねるとしたら、
「印税はいつ入るの?」
 よく言えば、生命力の強さ。
 ありていに言えば、「人間の愚かしさ。煩悩の塊」ということになろうか。
 だからこうしてブログで紹介するわけだが、先日、こともあろに私の友人が自宅に電話をしてきた折り、電話に出た愚妻に、
「それにしても、奥さんの悪口、ブログでずいぶん書いているねぇ」
 余計なことを言ったのである。
 私はその事実を知らずにいたのだが、昨夜のこと。
 世間話でもするかのように、
「何だかよく知らないけど、私の悪口をずいぶん書いているんですってね」
 不意をつかれたのである。
「いや、そんなことはないんじゃないかな」
「電話で聞いたけど」
「人は面白おかしく言うもんさ」
 必死で態勢を建て直しつつ、ふと昨夜のニュースを思い出した。
 例の「仕分け人」とかいう政府の行政刷新会議。
 メンバーの女性が、21世紀職業財団の業務内容を、
「能なしでもできるかもしれない」
 とした発言に対する釈明のコメントである。
 彼女はこう言って陳謝した。
「言葉のチョイスを間違った。不適切な言葉を使った。申し訳なかった」
 形勢不利と見た私は、このセリフを参考にした。
「言葉のチョイスを間違ったかな。あるいは不適切な言葉を使ったかもしれない」
 愚妻は一瞬、考え込んで、
「それって、謝っているの? 私には居直っているように聞こえるけど」
 言葉のチョイスを間違った、とは「言い方が悪かっただけで、ホンネは変わらず」ということではないのか、と愚妻は主張するのだ。
「なるほど。キミもたまには鋭い指摘をするじゃないか」
「じゃ、私の悪口を書いているってことなのね!」
 般若の顔になって言った。
 阿修羅像には憂(うれ)いがあるが、般若はただ恐いだけである。
 それでも、私はひるまず言った。
「私だって、キミのいいところを書きたいんだ。だけど、いいところがないじゃないか。私だって困っているんだ」
 このあとどうなったかは、あえて書くまい。
 ただただ「仕分け人」の弁明を拝借したことを私は後悔するばかりであった。
 
 

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