テレビで、貧困や饑餓、悲劇を報じたあと、にぎやかなCMが入る。
ゴクゴクとうまそうにビールを飲むCMやダイエット、化粧品などのPRだ。
番組の悲惨な話に深く同情しつつも、それらCMに何の違和感も抱かない自分に、慄然とする。
「所詮、他人ごと」
という思いが根底にあるからだろうが、しかし「気の毒だ」という同情心もまた、ウソではない。
そこで、ふと思った。
(人間の感情はアナログではなく、デジダルではないのか?)
悲しみや不安、あるいは喜びは、引きずるように見えて、実はページをめくるように変えられるものであるということだ。
「泣いたカラスがもう笑った」
と昔から言うが、まさにそのとおりなのである。
感情を引きずるのは、余韻に浸りたいか、同情されたいか、悲劇の中に身を置くことで〝自己弁護〟しているかのいずれではないだろうか。
言い替えれば、「気持ち」は切り替えられるということなのだ。
ネガティブな感情を引きずるのも、それを断ち切るのも、それこそ「気持ち一つ」だと、テレビのにぎやかなCMを見ながら考えた次第。
難しいことではない。
人間は〝忘れる生き物〟なのだ。
感情は「デジタル」である
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