歳時記

さて、今年も終わる

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今日は大晦日。
一年が終わる。

終わりがあるというのは、気持ちに区切りがついていいものだ。
書き損じた紙を捨て、新たに書き出す気分である。

人生も同じで、終わりがあるからいいのだろう。
書き損じた「現世」から、お浄土という「新たな世界」に生まれ変わる。
これが往生(浄土往生)である。

こう考えれば、娑婆での命が尽きるのも悪くない。
ただし、それは理屈での話。

いざ臨終を迎えたらどうなるか。
亡くなるときだから、あとからその時の自分を振り返ることはできない。
臨終は一度きりだから、次回はない。

そこで、生前葬ということに思いを馳せる。
臨死体験のごとく、「臨葬体験」である。

で、先程、愚妻に提案した。

「おい、読経してやるから、来年は元気なうちに生前葬をやったらどうだ」
「結構。あなたがやれば」
「わしの葬儀となれば、読経する者がいないではないか」
「自分で二役やればいいのよ」

年の暮れになっても、バチ当たりなことを言うのだ。

一年に「良い年」も「悪い年」もなく、あるのは自分の都合だけというのが仏教的な考え方だが、
「来年はよい年でありますように」
と願うのは素直な人間の情というものだろう。

世俗から仏法に入り、仏法から抜け出て再び世俗に還(かえ)り、世俗の垢にまみれて生きていく。
人生はかくあるべきだという思いを込めて、諸賢の健やかなる新年を念じ上げる次第。

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