なぜ、芸能人は薬物に手を出すのか。
押尾学、酒井法子と薬物事件が続いたこともあって、こんなテーマの記事が目につく。
なるほど、薬物に手を出す芸能人は後を絶たないが、その背景として「仕事の不安定さ」を指摘する識者は多い。
「いつ人気がなくなるかわからない」
という不安である。
私は週刊誌記者時代、芸能人にずいぶんインタビューしてきた経験から、そうした不安はよく理解できる。
だが、仕事が「不安定」なのは芸能人だけではない。
プロスポーツ選手もそうだろうし、私たち物書きだってそうだ。
いや、先行き不透明な時代にあって、誰しも仕事に不安を抱いていることだろう。
だからといって薬物に走るわけではない。
芸能人が抱く不安は、一般人のそれとは「質」が違うのだ。
別の言い方をすれば、
「彼らの仕事(人気)には実体がなく、達成感に裏打ちされた自信を持てないでいる」
ということになるだろうか。
歌が上手だからといって売れるわけではない。
演技が上手だからといって、人気俳優になるわけでもない。
逆に、音痴もどきの歌手が売れ、ダイコン役者がキャーキャー騒がれる。
「おバカキャラ」という得体の知れない〝ウリ〟で、人気アイドルが生まれたりする。
すなわち「実体」というものがなく、売れっ子になった当人が、なぜそうなったか理解できないのが「芸能人の人気」なのである。
一方、同じ「不安定な仕事」であっても、たとえばプロスポーツには「技術」という実体がある。
努力し、他の選手たちより技術的に優秀で、勝負に勝つことで栄冠を手にする。
プロゴルファーの宮里藍が練習もしないで、
「あら、勝っちゃった」
ということはないのだ。
だからプロスポーツ選手は、不安定な仕事であり将来に不安を抱くとしても、不安の対象は明確で、それは「自分の技術」なのだ。
ところが芸能人の抱く不安は、不安の対象が漠然としていて、自分でもわからない。
芸能人は「不安定な仕事」に苦しむのではなく、「なぜ人気者になったかわからないという不安」に苦しむのである。
週刊誌時代、元横綱・輪島関の連載対談を担当したときのこと。
毎回、ゲストに人気芸能人を呼ぶのだが、彼らはよくこんなことを言っていた。
「相撲っていいですね。強い者が勝つ。勝ち負けがハッキリしている世界がうらやましい」
これに対して輪島関は、いつもこう切り返した。
「でも、芸能人は実力がなくても人気者になれるんだからね。うらやましいよ」
「不安」は心の持ちようなのである。
「芸能人と薬物」考
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