歳時記

説教という「ひとりよがり」

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 稽古の終わりに、全員で正座して挨拶をする。
 このとき私は、子供たちに思いついたことなど話をする。
 空手のことに限らず、挨拶をすることの大切さ、人に迷惑をかけてはならないことなど、何かしら子供たちに役立てばと思って話をする。
 で、一昨日。
 幼児・小1のクラスで、先夜の花火大会のことを彼らに問いかけた。
 花火はなぜきれいなのか、ということを引き金にして「人間の感情」というものに話を持っていき、さらにここから人のことを好きになったり嫌いになったりすることの「不思議さ」について話をし、「みんな仲よく」を説くつもりであった。
「エー、花火を見てきれいだと思った人?」
「ハーイ」
 と元気よく手をあげる。
「じゃ、どうして花火はきれいなのかな?」
「きれいだから、きれい!」
 ワイワイ答え始めたところで、幼児(女の子)が、
「館長、まだ、お話、終わらないの?」
 これには私もガク然とした。
 よかれと思って話をしていたが、それは私のひとりよがりで、心の中でアクビしている子供も少なからずいるということ。
 すなわち、どんなに相手のためを思って話をしても、人間は「聞きたい話」には耳を傾けるが、そうでなければ退屈なだけということなのである。
 今日から一泊二日で、子供たちの空手合宿だ。
 あれもこれも話して聞かせようと思ったが、やめた。ケガをしないよう楽しんでくれればそれでいい。「生きていく知恵」は、彼らが体験を通して培っていくことだろう。

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