歳時記

「川の流れ」をイメージして生きる

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 田中角栄元首相の語録に、
《未(いまだ)ついに海となるべき山水も しばし木の葉の下をくぐるなり》
 というのがある。
 この言葉は、戦前の尋常小学校唱歌にある『忍耐』からとったもの。
 人生を川にたとえて、
「苦しかろうが、いまに広い海に出るけん、もうちょと辛抱せえよ」
 という意味だ。
 私も最近、人生を川にたとえて考えるようになった。
 自分の意志と関わりなく、川上から川下に流されていくのが人生で、急流があれば澱(よど)みもあり、木の葉の下もくぐるというわけだが、ポイントは「川上から川下」というところにある。
 私はこれを「時間の経過」ではなく、仏法で言う「因縁の流れ」ととらえる。
 因縁について述べると長くなるので、誤解を承知で乱暴に言ってしまえば、私たちが、いわゆる「運気」と呼んでいるものである。
 運気という〝川〟は、川上から川下に流れている。
 だから不運のときは、
「しばし木の葉の下をくぐるなり」
 と流れに身をまかせておけば、いずれ大海へ出る。
 ところが、川上から川下へという自然の摂理を知らず、そして流されることを善(よ)しとせず、
「人間、努力だ!」
 と、流れに逆らって上流へ向かって必死に泳ぐ者がいる。
 その意気は立派だが、流れに逆らう生き方は、おのれの力の過信であり、驕(おご)りではないか。
 最近、そう考えるようになったのである。
 人生という川の流れに身をまかせて生きていけばいい。
 よしんば大海に出ようと、澱みに止(とど)まったまま終わろうと、どっちでもいいのだ。
 すなわち、すべてを甘受する生き方だ。
 苦労や矛盾は、克服したり乗り越えたりするのではなく、甘受するものだろうと思うのである。
 そんなわけで、私は最近、「川の流れ」をイメージしつつ、
(流れに逆らうな)
 と自分に言い聞かせているのである。

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