歳時記

「スケールメリット」への懐疑

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 体重は減らないが、年齢のせいか、食事の量がたくさん食べられなくなってきた。
 和食にしても洋食にしても、コース料理が胃袋に負担になってきて、馴染みの店を予約するときは、量を工夫してくれるよう伝えるようにしている。
 それでも、昨夜の和食屋さんは胃袋が苦しかった。
 贅沢とわかっていても、苦痛は苦痛である。
 コース料理よりも、畑で収穫した野菜を少量、手料理で楽しむことのほうに惹かれるのだ。
 料理だけでなく、たとえば昨日のブログで空手道の大会について書いたが、こうした大会も、大規模のものより、小さな、手作りのような大会のほうが楽しくなってきた。
 クルマも、買い換えるたびに小さくしている。
 漠然とした思いだが「スケールメリット」、すなわち「規模が大きいことは、いいことだ」という考えに違和感を感じているのである。
 それが年齢からきているものか、あるいは飽食の時代、経済成長の時代を生きてきたことへの反動であるのか、私にはわからない。
 ただ、感覚として「大きいことはいいことだ」という価値観に懐疑の念を抱く自分を意識しているというわけである。
 そして「つましい」とか「ささやか」といった価値観に惹かれる。
 きっと、幸せというやつも、満喫するのではなく、つましく、ささやかでいいのかもしれない。
 ならば「ささやかな幸せ」とは何だろうか。
 言葉で言うのは簡単だが、その答えとなると、実に難しいことを、いま改めて思い知らされている。
 

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