このところ、着物に関する本を読破している。
「堅苦しく考えるからいけない。好きに着ればいいのだ」
と主張する本を読めば、
(そうだ!)
と意を強くする。
「あなたは洋服を着るときに悩みますか? 着物もそれと同じです」
という本なら、
(同感!)
と、嬉しくなる。
ところが、
「衣紋(えもん)が抜けた男は、〝抜け右衛門〟といって笑われます」
と、こうるさく書かれた本を読むと、ドキリとさせられる。
さらに、
「大島はいくら値が張ろうと、あくまでおしゃれ着。改まった場所に着ていくと恥をかきます」
なんて下りを読むと、気が重くなる。
着物の知識のない私は、泥大島のアンサンブルがあれば文句あるまいと、リサイクルショップで大枚をはたいて買っていたからである。
だが、参考までにと、テレビの「時代劇チャンネル」を見ていると、町人も遊び人も、お気軽に着物生活を送っているではないか。
(なんで、わしが着物のことで悩まなきゃいかんのだ)
と次第に腹立たしくなってくるのである。
それでも一念発起して始めた着物だ。
夏物も、長着から夏帯、羽織、袖無し羽織、小物、さらにタボシャツまでそろえた。
そろえながらも、
(夏のクソ暑いときに、こんなもの着るだろうか?)
という思いがよぎる。
だが、暑いといって着なければ、バチ当たり女房が鬼の首でも取ったように非難するだろう。
それだけはマズイ。
(よし、今年の夏は意地でも着物だ)
と、実はいま密かに決心したところなのである。
この夏は意地でも着物ですごそう
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