歳時記

森光子さんの思い出

投稿日:

 森光子さんに国民栄誉賞が贈られた。
 89歳にして、あの元気。
 しかも、「もっといい演技ができるようになりたい」とおっしゃる謙虚さ。
 お世辞でなく、森光子さんはそういう人だろうと思う。
 私が週刊誌記者として駆け出しだった二十代。
 ある人のご自宅で、初対面の森光子さんと雀卓を囲んだことがある。
 徹マンになり、私は大敗してスッカラカン。
 バラ銭だけがポケットに残っていたので、電車で何とか帰宅はできると思っていたら、
「おい、森さんをお送りしてくれ」
 と知人が言うのだ。
 知人は、私がタクシーで帰るものと思っているので、森光子さんを送ってから帰れ、というわけである。
「タクシー代がないんです」
 とは言えない。
 駆け出しとは言え、私も週刊誌記者。カッコつけていたのである。
 こうなれば、森さんを送り、そのまま自宅までタクシーで帰って着払いにするしかない。帰宅して、もし女房が外出していたらヤバイが、そんなことを言っている場合じゃない。何しろ携帯のない時代である。
 私はハラをきめ、タクシーを呼んだ。
 私が先に乗り、途中で下りる森さんが隣に座った。
 そして、旧テレビ朝日の近くまできて、
「ここで結構です。遠まわりさせてごめんなさいね」
 と森さんが言って、私の手にさっとお札を握らせたのである。
 それも、決しておしつけがましくなく、もうしわけなさそうにして。
「いや、そんな」
 と私はカッコつけたが、森さんは、「じゃ」と笑顔を残して、さっと降りていったのだった。
 その後、お目にかかる機会がないままでいるが、あのときの森光子さんの気づかいと間(ま)のよさは、いまも鮮明に覚えている。
 粋(いき)とは、あのような所作を言うのだろう。
 いまも私のお手本になっている。
 
 

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.