歳時記

所詮、人生は、ないものねだりか

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「お昼はどうするの?」
 女房から、道場の仕事部屋に電話がかかってきた。
「何度、言ったらわかるんだ。昼だからメシを食べる、というのは間違っている。メシは、腹が減ったら食べるものだ」
「いいから、どうするのよ」
 うんざりした声で、女房は取り合わない。「食事」と「人生」という深遠なるテーマについて話してやろうと思っているのに、罰当たりな女である。
 私は「食事の時間だから食べる」という考え方を断固、拒否してきた。
 動物を見よ。
 彼らは腹が減るからエサを漁るのであって、
「朝だから、昼だから、夜だから」
 と時間で食事をしているわけではない。
 腹が減ってもいないのに、食事時間だから食卓につくというのは、自然の摂理に反するというのが私の信念なのである。
 そういう私の考え方を女房は承知しているはずなのに、先程、おにぎりを届けてきた。
「いま電話で言ったろ。昼だから食べるという考え方は……」
「わかってるわよ。食べようと食べまいと好きにすればいいでしょ。あなたの我が儘につき合っているヒマはないのよ」
 言い置いて、そそくさと帰って行った。
 なるほど、女房の言うとおりだろう。
 となれば、我が儘に、そして思うように生きようとするなら、女房や人に頼るのではなく、天涯孤独にならなければだめであるということに改めて気がついた。
 私の好きな詩に、藤原惺窩(せいか)の『山居』(さんきょ)というのがある。
《青山(せいざん)高く聳(そび)ゆ、白雲の辺(ほとり)
 仄(ほの)かに樵歌(しょうか)を聴いて世縁(せいえん)を忘る……(略)》
 娑婆のしがらみに苦しむ人間は天涯孤独にあこがれ、天涯孤独に苦しむ人間は娑婆のしがらみにあこがれる。
 晴耕雨読、そして時間に縛られず、腹が減ったら食べるという人生にあこがれつつ、
(所詮、人生は、ないものねだり……)
 とつぶやくのである。

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