歳時記

夢の達成はゴールではない

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 昨夜、稽古のあと風呂屋へ行き、サウナ室でテレビを観ていて何となく違和感を覚えた。
(何だろうな)
 と考えて、ハタと膝を打った。
 北京オリンピックが終わって、「ニッポン頑張れ!」の喧噪がテレビから消えていたのである。
 テレビも現金なもので、
(北京五輪って今年だったっけ?)
 そんな雰囲気になっている。
 国民栄誉賞でも与えられれば、また話題になるのだろうが、そうでなければ、栄光も屈辱も「人のウワサも75日」ということになってしまうのだろう。
 北京五輪はニュースでしか観られなかったが、ひとつ感じたことがある。
 それは、オリンピツクにあこがれ、死にものぐるいで練習してきて見事、オリンピック選手という栄光を手にしながら、それゆえプレッシャーに苦しむという皮肉である。
 これは、私は週刊誌記者時代、人気歌手を取材したときに感じた皮肉と同じだ。
 歌手を夢見て、努力して、幸運をつかん人気歌手になりながら、
「忙しくて、ちっとも休みがない」
 と人生に悩んでいる。
「じゃ、無名歌手のほうがいいってこと?」
 私が問うと、
「とんでもない!」
 と目を剥くのである。
 私たちは、それぞれにおいて夢を描き、そうありたい、そうなりたいと切望する。
 ところが、いざその夢を手にして、心から満足する人は、たぶん希(まれ)ではないだろうか。
 夢を持つのが悪いというのではない。
 夢に向かって努力することが愚かだと言うのでもない。
 夢はゴールとするのが間違っている、と私は思うのである。
 すなわち夢の達成は、常にあらたな人生のスタートなのだ。
 

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