歳時記

沖縄の海を思い浮かべながら考える

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 部屋にこもって原稿に追われているせいか、沖縄の海が恋しくなった。
 恋しくなったが、考えてみれば、私は沖縄の海を知らないのである。
 一昨年まで、古武道の稽古のため、毎月毎月、7年余にわたって沖縄に通い続けたのに、考えてみれば一度も海に入っていないのである。
 短くて2泊3日、長ければ4泊5日。
 道場に行き、稽古が終われば仲間と飲み屋。
 稽古がない日は、佐敷か与那原の飲み屋で、書家の玉城氏と語らう。
 気が向けば、玉城氏と佐敷の山頂にある休暇村に出かけ、眼下に沖縄の海を眺めながら風呂につかる。
 あるいはホテルのプールサイドで、生ビールを飲む。
 ときに玉城氏の運転で、本島北部の「やんばる」へ出かける。
 あとはホテルの部屋にこもって、ひたすら原稿書きである。
 そんなことを毎月7年間もくり返した。
「いつでも海に入れる」
 という思いが、結局、一度も入らないという結果になった。
「いつでもできる」は「できない」と同義語なのである。
 ヒマになったら、あれをやろう、これをやろうでは、結局、何もできないのだろう。
 なぜなら、ヒマになるということは、「いつでもできる」という環境になることであるからだ。
 忙しいとこぼす今が、実は何でもできるときではないだろうか。
 沖縄の海を思い浮かべながら、そんなことを考えるのである。

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