夜、素っ裸で寝ていた次期がある。
パジャマのゴムなど身体を締め付けるものはストレスになる、と友人に聞いたからである。
友人は「素っ裸で寝る習慣にしてから腰痛が治った」と体験談を語った。
(フーム、素っ裸ねぇ)
何事もすぐ飛びつく性分ゆえ、すぐに《フリチン健康法》を始めたというわけである。
気持ちがよかった。
自分の肌と肌が触れ合う感触が、これほど気持ちのいいものとは思わなかった。
それから毎晩、フリチンで寝た。
寝ながら考えた。
(地震がきたらどうする?)
いまもそうだが、当時も世をあげて〝防災の時代〟だった。
洋服を身につける時間がないとなれば、フリチンで家を飛び出すことになる。
(やっぱ、ヤバイよなァ)
そんなこんなで、結局、《フリチン健康法》は断念したのである。
そして最近は、パジャマを着るだけでなく、ジーパンやシャツなど、地震に備えて部屋の隅に用意して寝るようになった。
これなら安心である。
女房とは寝室が別なので、私は女房に厳命した。
「いいか、備えあれば憂いなし。いつ外へ飛び出してもいいように、洋服を用意して寝ること」
「なに言ってるのよ」
女房がムッとした顔で、
「練馬に住んでいるときに、着替えと洋服を枕元に用意していたのは誰なのよ」
アタシが風呂敷に包んで置いていたんじゃないの――そう言って怒ったのである。
忘れるのが得意な私には記憶はないのだが、言われてみれば、練馬区のマンションに暮らしていた当時、そんなこともあったような気がしないでもない。
娘がまだ小学校低学年のころのことで、たしか地震に備えた〝防災グッズ〟が売れに売れたような記憶がある。
(そうだ、そうだった!)
思い出した。
我が子を守るため、私はそこまでして地震に備えていたのである。
で、つい先日のこと。
娘夫婦が孫を連れて遊びに来たので、私は娘に厳命した。
「いいか、備えあれば憂いなし。いつ外へ飛び出してもいいように、洋服を用意して寝ること。私たち一家が練馬に住んでいるころは、着替えを風呂敷に包んで枕元に……」
「なに言ってるのよ」
娘がムッとした顔で、
「あんなものを枕元に置いて寝るから、いつ地震がくるか、私は怖くて毎晩寝られなかったんじゃないの」
いや、怒るまいことか。
「備えあれば憂いなし」
とは言うけれど、
「今日来るか、明日来るか」
という〝備えの日々〟もまた、考えてみれば怖いことであると、このとき思ったのである。
「備えあれば憂いなしヶという怖さ
投稿日: