歳時記

卑下して笑いを取ろうとする〝愚〟

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 我が家の近くに「インドアテニス場」がある。
 このそばをクルマで走っていて、女房が苦笑しながら言った。
「あの看板を見て、私は〝インドのテニス〟かと思ったのよ」
「アハハハ」
 私は笑った。
 笑ったが、この笑いは複雑である。
 笑いの理由が「女房のアホさ加減」にあるからだ。
「アハハハ」
 と笑って言葉を継ぐには、
「おまえって、ホントにおバカだね」
 と言うしかなくなる。
 そんなことを口にすれば、女房の頭にツノである。
 さりとて、笑い理由が「女房のアホさ加減」にある以上、「アハハ」のあとにフォローする言葉が出でこない。
 かくして私は、「アハハハ」と意味不明の笑い声を発しただけで、この話題はそれ以上は発展しなかった。
 なぜこんな話を紹介したかというと、初対面での話題の振り方について、ふと考えたからである。
 初対面の場合、良好な人間関係を築こうとして、楽しい話を枕に振ることが多い。
 もちろん、これはいいことなのだが、問題は「話題」である。
 たとえば大手町の某社へ訪問し、名刺交換をしてから〝楽しい話題〟を振ったとする。
「いやあ、丸の内で迷っちゃいましてねぇ。再開発で東京駅周辺が変わったとは聞いていましたが、まさか迷い子になるとはね、アハハハ」
「ええ、このあたりもサマ変わりしましたからね」
 相手は微笑みながらも、二の句が出てこない。
 なぜなら、この〝楽しい話〟は、
(お宅、ドジだねぇ)
 という楽しさなのだ。
 だから、
「ええ、このあたりもサマ変わりしましたからね」
 と言うしかなく、あとの言葉が続かないのである。
 そして、中途半端な会話の途切れによって、何となく気まずい空気が流れてしまい、わざわざ〝楽しい話〟を枕に振ったことが逆効果になってしまうのである。
 その原因は、「自分を笑いのネタ」にしたことにある。
 これでは相手は、ハハハハと微笑むしかない。
「そうでっか! お宅、ホンマにおバカでんな」
 と言えるわけがないのだ。
 以上のことから、〝楽しい話〟は、第三者(あるいは世間話)を振ること。
「いま御社まで乗ってきたタクシーは、例の〝居酒屋タクシー〟だったそうですよ」
「ほう」
「役人が乗らなくなったってボヤてましたから、いっそのこと屋形船の向こうを張って〝屋形タクシー〟にしたらどうだ、って言ってやったんですよ」
「アッハハ。実は私も先夜、タクシーに乗りましたら……」
 話は弾む。
 少なくとも、「自分を笑いのネタ」にするより打ち解けるはずである。
 しかるに人間は、自分のドジさ加減をサカナにしたがる。
 そのほうが楽だからだ。
 だが、自分を卑下して会話を弾ませようなど、実は逆効果であることに気がつかない。
 自分をサカナにするなかれ――。〝インドのテニス〟の看板を見るたびに、私はそう肝に銘じるのである。

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